バイオ茶の宮崎上水園

創業明治二十九年 バイオ茶の宮崎上水園

STORY 宮崎上水園のお茶づくり 「急がず、休まず、怠らず」

Vol.20

震災を乗り越えてつづく、農家との交流

バイオ茶を通じて、農家との交流は東北にも広がりました。幻のメロン「クールボジャメロン」などを栽培する、宮城県岩沼市の相野釜ハウス園芸組合。東京での健康フェアで出会った、岩沼市の歯科医師・佐藤孝明さんとのご縁でお話しする機会があり、ミネラルの必要性、ビニールハウスの開閉による作物の正常な呼吸のさせ方などをお伝えしました。

参加者の一人が、イチゴ農家の鈴木良雄さん。当時、体調不良で入退院を繰り返し、イチゴの苗がうまく育たず、近隣の方に分けてもらっていました。2カ所あるハウスのうち1カ所は自分の苗、もう1カ所は奥様がもらい苗を植え付けていましたが、小さく弱々しいものでした。現場を見て、午前中の潅水を夕方遅くに変えるようアドバイスしましたが、「夕方に水をやると、病気が出るからダメだ」と耳を傾けてもらえません。すると奥様が、「ダメ元で私のハウスだけやってみようか」と言われたのです。そこで、奥様のハウスだけ、夕方にミネラルを注入して潅水をスタート。さらに早朝、太陽の光が差し込んできたら必ず一方の裾部分を少しだけ開けるように伝えました。日中、ハウス内が温まってきたら開けるのが通常のやり方。ご主人のハウスは従来通りおこないました。

すると、奥様のハウスの弱々しかったイチゴが、みるみる大きく育ちはじめたのです。午前0時頃、お二人を連れてハウスへ行くと、ご主人のハウス内はひんやりと寒いけれど、奥様のハウスは靄がかかり、とても温かい。このことに鈴木さん夫婦はとても驚かれていました。違いを目の当たりにすることで、より強く実感してもらうことができたのです。

2011年3月11日の東日本大震災では、相野釜ハウス園芸組合も甚大な被害を受けました。100棟以上あったビニールハウス、自宅が壊滅し、家族を失った方もあります。震災後、訪れたのは空港が再開したばかりの8月。田んぼや林の中までも、車があちこち横転したまま……、迎えにきてくださった佐藤先生の車から見た光景は凄まじいものでした。

組合員の方々は復興を目指し、新しい農地は内陸部に移し、震災の翌年から再開。カブの栽培からはじめ、収穫すると仮設住宅へ配布されました。その後、メロン栽培も再開し、6月にクールボジャメロン、10月にはマスクメロンを出荷しています。

なんとか支えになりたい一心で、上水園から微量元素ミネラルを無償で送り、潅水や葉面散布に利用してもらいました。そうして育ったメロンは「糖度が高く、香りが良い」と評判を呼び、お客様からの口コミで「全国から注文が来るようになった」と喜ばれています。「起こったことはしょうがない。大事なのはこれからだ」。組合の方の言葉に、万感の思いでした。


相野釜ハウス園芸組合相野釜ハウス園芸組合
宮城県岩沼市の相野釜ハウス園芸組合を訪ねて