バイオ茶の宮崎上水園

創業明治二十九年 バイオ茶の宮崎上水園

STORY 宮崎上水園のお茶づくり 「急がず、休まず、怠らず」

Vol.13

オリンピック選手が選んだ、魔法の水!

1990年、ロッテルダムマラソン優勝した谷口浩美選手。翌年の世界陸上東京大会男子マラソンは気温30度を超す過酷な状況となり、60人中24人が棄権する中で優勝。世界陸上大会初の日本人選手の金メダル、まさに快挙でした。猛暑の中、給水を支えたのがバイオ茶。女子マラソンで銀メダルを獲得した、山下佐知子選手も同じく、愛飲してくれていました。

1992年のバルセロ五輪では、20km過ぎの給水ポイントで、後続選手にシューズのかかとを踏まれて転倒。優勝争いから脱落するも、8位入賞。「途中で、こけちゃいました」「これも運ですね。精いっぱいやりました」と笑顔を見せた、谷口選手。恨み言も言い訳も一切ない、スポーツマンシップに日本中が感動を覚えました。五輪の名言の一つとして、記憶に残る人も多いと思います。

バルセロナへ向かう谷口選手には「勝負どころで飲んでもらえたら」と特別に作ったバイオ茶を渡していました。帰国後、上水園へ報告に来てくれて、「転倒して遅れたときは、35kmの給水ポイントにある“特別なバイオ茶”まで行こう!という思いが湧いてきて、とても救われました」と言ってくれました。

バルセロナ五輪男女マラソンでは、銀メダルを獲得した、森下広一選手(旭化成)と有森裕子選手(リクルート)、4位の中山竹道選手(ダイエー)と山下佐知子選手(京セラ)も給水時のスペシャルドリンクとしてバイオ茶を愛飲。選手の皆さんの活躍によって、バイオ茶は「魔法の水」としてマスコミに取り上げられました。1991年9月の世界陸上東京大会男子マラソン直前のスポーツ紙では、「灼熱の東京でレースの鍵を握るのは水分補給。谷口選手は『魔法の水を用意している』」として、上水園を紹介。同年12月の福岡国際マラソンでは優勝選手を含め、上位3人がバイオ茶を愛飲し、スポーツ紙で「勝負を決めた、魔法のお茶」と紹介されました。

1992年1月の全国紙夕刊にて「栄冠を呼ぶ?魔法の一杯、バイオ茶」という記事が出た時はことさら反響が大きく夕方電話が鳴り始め午後10時頃まで問い合わせと注文が殺到。3日ほどしてそろそろ落ち着いたかと思いきや、数百枚に及ぶ注文ハガキが届き、体が震えました。小さな工場で作ってきたストックではすぐに応じきれないほどの注文だったのです。

当時、茶商に持っていっても「水出し茶は売れないから」となかなか扱ってもらえず。「世の中の人が必要とするならば、このお茶は伸びていく。必要とされなければ、消えていくだろう」。在庫を前に家族にそう話していた矢先でしたから、喜びと驚きでいっぱいでした。生産を増やすべく、1992年9月新工場完成。「上水園製茶」から社名を「宮崎上水園」とし、宮崎から広く世界へ届けたい思いで、新しいスタートを切ったのです。


朝日新聞(1992年1月7日)にて「栄光呼ぶ!? 魔法の一杯バイオ茶 スポーツ界で人気沸騰」と紹介
宮崎日日新聞(1992年9月19日)社説にて「五輪で実証バイオ茶効果」と紹介