バイオ茶の宮崎上水園

創業明治二十九年 バイオ茶の宮崎上水園

STORY 宮崎上水園のお茶づくり 「急がず、休まず、怠らず」

Vol.19

「はじかき会」から広がる、すこやかな循環 02

宮崎・日南市にて、スイトピー栽培する渡辺裕紀さんは農業勉強会「はじかき会」に参加して20年ほどになります。大学卒業後、野菜農家や試験場で農業を学んで独立。当初から鋭い質問を投げかけてきました。

はじかき会では、ノウハウは教えません。なぜ芽が出るのか。それを成長させる原動力は何か。植物と対話することを学ぶ場です。そうして自然の仕組みと向き合ううちに、温度・湿度が与える影響、潅水の有効な時間帯、紫外線・赤外線の働き……、通常あまり気にしていないことに気づきはじめます。自然のなす現象を理解しながら、渡辺さんは見事なスイトピーを咲かせています。なぜそうなのか? すべてはそこからはじまります。

渡辺さんはスイトピーの品種改良に取り組み、7年がかかりでおいしいスイートコーン栽培も成し遂げました。先端までみっしり実がつき、甘くて歯にくっつかないと評判です。はじかき会は夜8時から4時間近くにもなるため、農業に反対だった父親の治紀さんが行き帰りの運転を心配して共に勉強会に参加。だんだんと理解を深め「ものづくりがこんなに面白いとは」と治紀さん一人でも参加されるようになりました。その後、残念ながら心臓発作で急逝されたのですが、「父が自分の仕事に理解を示してくれてよかったです。はじかき会に参加できて感謝しています」と裕紀さんが言ってくれて安堵しました。いまでははじかき会のリーダーとして司会を務め、参加者の相談まで聞いてくれています。

はじかき会には県外からも参加者が来られます。鳥取県の田中正保さんは100haの米を栽培。酒米・山田錦を5つの酒蔵に納め、酒のラベルに「原料米 田中農場」と記載されるほど。品質は申し分ないのですが、精米の際、くず米が多いことに悩まれていました。稲作には中干しといって穂が出る前に田んぼの水を切る作業があり、それが徹底されていませんでした。その点をアドバイスしてからくず米が驚くほど出なくなったそうです。

田中さんとのご縁から鳥取県の梨農家・加藤総一朗さん、土佐文旦をつくる高知県の弘田明男さんとも交流がはじまりました。奄美大島のタンカン農家・里山家を一緒に訪問。ふつうなら場所によって味に差が出ますが、里山家のタンカンはどの場所になった実も同じ味。弘田さんは大変驚かれ、以来21年間、毎月はじかき会に参加。頭が下がります。高知の日曜市では文旦やスイカなどを出し、そのおいしさにホテルのシェフも通われます。梨農家・加藤さんは同世代ですが、トラックを自ら運転して鳥取から来られます。物理学者・原隆一先生のもとに通っていた自分自身と重なり、こちらからも鳥取へ何度となく出向きました。当初、みやげにもらった梨は酸味とえぐみが舌に残りましたが、3年後には見違える出来栄え。市場価値も上がり、高値で扱われるようになりました。その後、デザイナーをしていた息子・一生さんが後継者として戻り、はじかき会に親子で参加されるようになりました。


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毎年恒例、8月10日=バイオ茶の日にははじかき会メンバーのさまざまな作物がお目見えします