バイオ茶の宮崎上水園

創業明治二十九年 バイオ茶の宮崎上水園

STORY 宮崎上水園のお茶づくり 「急がず、休まず、怠らず」

Vol.05

遅霜から守った、水の力に魅せられる

1982年(昭和57)4月9日、奇しくも新芽が全滅した3年前と同じ日。前日から風が強く、夕方から冷え込む中、朝方の遅霜を直感。霜害に備えて、夜中からスプリンクラーを回すことを決めました。上水園の取り組みに注目してくれていたNHK都城通信局の渡辺記者に電話で知らせると、すぐ駆けつけカメラを回しました。

散水すると新芽には3mmほどの氷が張りましたが、外気温がマイナスを表示しようとも、茶株面は0度から下がることはありませんでした。朝になって、太陽が昇ると、凍った新芽がキラキラと輝いて、なんとも美しい光景です。完全に氷が溶けるまでひたすら散水を続けましたが、新芽は何事もなかったように青々としていました。新芽が茶褐色になって全滅した3年前とはまったく違う、これが同じ茶園かと、感動した瞬間でした。4ヶ所ある茶園にボーリングをしたことは多大な出費でしたが、霜害から守りきれて感無量でした。

3年前同様、全国のニュースで霜害が伝えられる中、夕方6時の番組で「散水氷結法が成功した」と報じると渡辺記者から連絡がありました。タイトルは「氷よく霜を制す」。ファンや覆いによる間接的な方法でなく、直接的に茶葉に働きかけて守れると実証されたのです。

それからの反響はすごいものでした。九州はもとより、四国、遠くは静岡から毎日ように見学が続き、多い日は100人以上。農林水産省から政務次官を含めて3回、当時の三股町町長・桑畑三夫さんはそのたび案内に来られました。NHK「話題の窓」の生中継で家族総出演。NHK「農業新時代」に出演してスタジオで散水氷結法について説明。翌年には第22回宮崎日日新聞農業技術賞受賞。講演会にも数多く登壇し、目まぐるしい日々となりました。

何事も最初は期待と不安が入り混じる。
けれど、自分が思ったことはまずやってみないと始まらない。
そう思いながらも、失敗したら笑い者になるかもしれないと、ここまで必死でした。

まだ実績のない「散水氷結法」を、勇気を持って取り入れたのは自分自身、しかしそれはサンホープの益満和幸社長の助言あってこそ。「水のように流れ続け、決して止まるな。最後までやり抜け」。自分の道を切り開く、勇気をくれたのは、益満社長の信念の力でした。

そして、防霜に取り組む中で気づいた、水の力。流れ巡り、気化し、凍り、姿を変えていく、水。人にとって、植物にとって、すべての命の源である、水。水を追求する中で、水の不思議に魅せられ、「バイオ茶」誕生へつながっていくのです。


生中継されたNHK「話題の窓」スタッフと共に
「散水氷結法」によって凍った茶葉